そこそこまじめ

まじめでないこともある

フィクションとモラル

 フィクションとは虚構のことだ。虚構といえども、衆目にふれるものであるからには、モラルが必要だ。たとえば実在の国やら団体やら人物やらを中傷するとか、そういう明確にモラルに反することは避けるべきだと思う。

 フィクションのなかで架空の人物が行う非道な行いについては、どう考えるべきだろうか。登場人物が殺人しまくったとして、それが人道に反するという理由で、作品そのものが非難されるべきか?NOだ。物語のなかで登場人物に犯罪を行わせることが、モラルに反するとはいえない。

 ただ、フィクションにおける表現が、いついかなるときでも、どんなものでも問題ないとは思えない。たとえば朝8時くらいにテレビで残虐きわまりないグロテスクな映像が放映されていたら、視聴者の不興を買うことだろうし、批判されて当然であろう。

 ところで、一昨年の夏に公開された映画「風立ちぬ」をご覧になったことがあるだろうか。その中のある場面が、一部で物議をかもしたことがあった。要約すると、肺の病気で寝込んでいる妻の横で、主人公がタバコを吸うというシーンだ。主人公は家で仕事をしていて、横で妻が寝ている。主人公はタバコを吸うため部屋の外へ出ようとしたのだが、それを妻が引き止め、ここで吸ってほしいと言う。そんな場面だ。

 このシーン以外にも、登場人物がタバコを吸うシーンがいくつか存在する。日本禁煙学会という組織が、これに抗議したのだ。詳細は割愛するが、超ざっくり言うと、タバコを吸う描写が少年少女に悪影響を及ぼすからアカンやろという趣旨だ。

 今回は抗議を入れたのが禁煙学会という組織だったから喫煙シーン批判になったわけだが、ここに見られる精神を敷衍すると、フィクションの中であっても、登場人物は常にモラルあふれる模範的な振る舞いをすべし、ということにならないだろうか。

 それってすごくつまらない。現実の規範に縛られたフィクションなんてあまり面白くはないだろう。表現の幅が狭められて、人畜無害な物語ばかりな世の中って、まるで戦時中(体験したことないけど)みたいな気色悪さを感じてしまう。

ただ、タバコは嫌いです。